TWO LINEAGES 確からしさの遺伝子

院長は、1963年に開設した井上医院で、先代院長の井上武雄と先代副院長の井上孝雄が医学を築いていく姿を見て育ちました。同じ頃、叔父で建築家の中村晃から、建物は見た目より先に、そこで暮らす人に必要な働きを満たさなければならない、という考え方を教えられています。中村晃は、中東の砂漠の中に、豊かな水を思い描いて郵政の公共施設を手がけ、王族から勲章を受けた建築家です。
中村晃が勤めた日総建の仕事は、奇抜さを競うものではありません。その建物に求められる働きから、着実に確かな答えを導き出す設計です。医学と建築、二つの系譜から院長が受け継いだのは、この「確からしさ」でした。
日総建の社長を務めた故・蜂須賀達志氏からは、人生そのものについて多くを学びました。蜂須賀氏が設計事務所の所長に就いたのは、大江橋クリニックが開院したのと同じ年です。
形態は、機能を超えない。
目を引く形ではなく、時間がたっても崩れない確かな形を。医学と建築から受け継いだこの考え方が、当院の手術の土台になっています。

OEBASHI CLINIC SINCE 1963

形態は、
機能を超えない。
建築の原理で、瞼と耳と肌を設計する。
見た目だけを整えた建物は、やがて傷みます。顔も同じです。大江橋クリニックは、まぶたが開く、耳が支えるといった働きを土台に、十年先にも崩れにくい形を設計し、医師がその手で仕上げます。瞼と耳の形成手術、他院で受けた手術の修正、美肌育成レーザー治療を行っています。
基礎
1963年から続く医学の系譜、中部建築賞に入選した旧井上医院、平成元年から瞼と耳を手がける形成外科医
構造
瞼と耳の形成手術、他院で受けた手術の修正
仕上げ
医療レーザーの黎明期から、医師が握り続ける美肌治療
瞼の手術、耳の形成、美肌育成レーザー。この三つに絞り、分院を出さず、二人の医師が、すべてを自らの手で行っています。
大江橋クリニックについて →百貨店ではなく、専門店です。二人の医師と、当院の流儀
美の工房、サルトリア →一人のために仕立て、その先の年月まで見届ける
序 ARCHITECTURE
手術の考え方は、建築家からも学びました
美しいだけの建物は、雨が漏り、ひびが入る。働きを満たした構造の上にこそ、長く保つ美しさが立つ。
院長は子どもの頃から、二つの「建築」に囲まれて育ちました。一つは、医学を築いてきた先代院長の井上武雄と、先代副院長の井上孝雄。もう一つは、叔父で建築家の中村晃です。
中村晃は建築設計事務所の日総建に勤め、中東の砂漠の中に、郵政にかかわる公共施設を手がけました。乾いた大地の中に豊かな水を思い描き、水を生かして建てたその施設は高く評価され、王族から勲章を受けています。見た目の美しさの前に、その土地と人が必要とする働きを満たすこと。院長はこの考え方を、子どもの頃から叔父に教えられてきました。
院長が日総建の仕事から受け継いだのは、奇抜さではなく、求められる働きから着実に確かな答えを導き出す姿勢です。目を引く形ではなく、時間がたっても崩れない確かな形を、一人ひとりの瞼と耳に導き出す。私たちはそれを「確からしさの遺伝子」と呼んでいます。
日総建の社長を務めた故・蜂須賀達志氏からは、建築にとどまらず、人生そのものについて多くを学びました。蜂須賀氏が設計事務所の所長に就いたのは、大江橋クリニックが開院したのと同じ年のことです。当院の空間は、名古屋テレビ塔の建設に携わった山下和源氏が設計しました。
二重の幅が整っていても、まぶたが開きにくくなれば、その形は長く保ちません。流行の形を当てはめるのではなく、その人の骨格、皮膚の厚み、筋肉の動きを読み、構造として無理のない形を図面を引くように決めていく。これが当院の手術の出発点です。