ABOUT OEBASHI CLINIC

百貨店ではなく、
専門店です。

大江橋クリニックは、何でも引き受けるクリニックではありません。瞼の手術、耳の形成、そして美肌を育てるレーザー。この三つに絞り、分院を出さず、二人の医師がここでしかできない仕事を続けています。

看板は出していません。テレビや雑誌の取材、広告もすべてお断りしてきました。それでも、北海道から九州まで、ふだんはニューヨークやパリで暮らし、帰国のたびに通われる方まで、遠くから定期的に足を運ぶ患者さんが、この場所を支えています。

完全予約制、完全個室。お迎えするのは、一日に数名だけです。

PRINCIPLE

「最新」ではなく「最善」を。そして、うのみにしない。

美容医療では、新しい治療ほどもてはやされます。けれど、最新が最良とは限りません。半年後、一年後、数年後にどうなるか。そこまで見届けられない治療を、当院はお勧めしません。

一方で、権威ある先生が言ったから、学会がそう決めたから、メーカーのマニュアルにそう書いてあるから、という理由だけで治療を決めることもしません。自分たちの目で確かめ、目の前の患者さんにとって本当に最善かを考え抜く。それが当院の流儀です。

新しいものを避けているわけではありません。流行っているから、有名な先生が勧めているから、ではなく、自分たちで調べ、確かめ、本当に患者さんのためになると判断したものは、まだ国内でほとんど知られていない段階でも取り入れてきました。新しいかどうかではなく、良いかどうか。判断の物差しは、いつも同じです。

TWO LINEAGES

確からしさの遺伝子

院長は、1963年に開設した井上医院で、先代院長の井上武雄と先代副院長の井上孝雄が医学を築いていく姿を見て育ちました。同じ頃、叔父で建築家の中村晃から、建物は見た目より先に、そこで暮らす人に必要な働きを満たさなければならない、という考え方を教えられています。中村晃は、中東の砂漠の中に、豊かな水を思い描いて郵政の公共施設を手がけ、王族から勲章を受けた建築家です。

中村晃が勤めた日総建の仕事は、奇抜さを競うものではありません。その建物に求められる働きから、着実に確かな答えを導き出す設計です。医学と建築、二つの系譜から院長が受け継いだのは、この「確からしさ」でした。

日総建の社長を務めた故・蜂須賀達志氏からは、人生そのものについて多くを学びました。蜂須賀氏が設計事務所の所長に就いたのは、大江橋クリニックが開院したのと同じ年です。

形態は、機能を超えない。
目を引く形ではなく、時間がたっても崩れない確かな形を。医学と建築から受け継いだこの考え方が、当院の手術の土台になっています。

LASER LINEAGE
日本のレーザー医療の黎明期から

院長は研修医の頃から30年以上、さまざまな施設でレーザーを学び、治療に取り組んできました。
・兵庫県立尼崎病院形成外科で、炭酸ガスレーザーとYAGレーザーによる治療を経験
・冨士森形成外科で、色素レーザーによる血管腫の治療に毎週あたる
・城北病院で、刺青を除去できるQスイッチYAGレーザーの治療を手伝う
・大城クリニックで、日本で初めてレーザー治療を行った大城俊雄先生に師事。医療レーザー脱毛の用語と使い方を定めた公開討論会では事務局を務める
・銀座四丁目大城クリニックで、大城先生が考案したダウンタイムのない美容レーザーを直接学ぶ
この、冷やしながら照射して顔を引き締めるダウンタイムのないレーザーこそが、当院の美肌レーザーの原点です。その後、副院長の小川医師とともに独自の美肌治療を作り上げ、20年近く改良を重ねてきました。

DOCTORS

院長 井上 研(けんな)
京都大学医学部卒業。京都大学形成外科学教室の同門。ドイツ・シュトゥットガルトのマリア病院形成外科に留学。眼瞼下垂症の手術、耳介形成手術、皮膚のレーザー治療を専門とし、瞼の手術の執刀経験は25年を超えます。日本形成外科学会、日本皮膚科学会、日本耳介再建学会に所属。

副院長 小川 基美
皮膚科・アレルギー科の専門医。レーザー照射と美容治療の経験を積んだのち、開院のときから診療を共にしています。美容領域のレーザー照射では独自の経験を持ち、当院の美肌レーザーを院長とともに作り上げました。

二人とも、形成外科と皮膚科の両方の研修を経ています。今は一つの診察室を共有し、交代で、ときには同席して診療しています。一人で治療しているように見えても、前日、当日、治療のあとにも、診療記録と写真を持ち寄って、どこがよくなり、どこに課題が残っているかを二人で検討しています。

AFTERCARE

治療のしっぱなしは、しません

手術をしたら、翌日に必ず診察します。抜糸のしかた、テープの貼り方ひとつでも、仕上がりは変わります。本当によくなったと思えるまで、数か月から、ときには数年にわたって診ていきます。

レーザーも、一度きりの魔法ではありません。毎回、前回の記録と写真と見比べ、その月の肌に合わせて内容を組み替えます。だから、何回コースという売り方はしていません。

時間を巻き戻すことはできません。けれど、時間の進み方を遅らせる戦いは、続けることができます。
今日のあなたは、これからの一生でいちばん若いあなたです。

PARTNERS

医師と患者さんは、戦友です

病気は、医師だけでは治せません。医師は道案内をしますが、頂上へは患者さんご自身の足で登っていただくことになります。術後のテーピング、毎日の薬、定期的な通院。当院の治療は、患者さんの協力があって初めて完成します。

ARCHITECTURE

手術の考え方は、建築家からも学びました

美しいだけの建物は、雨が漏り、ひびが入る。働きを満たした構造の上にこそ、長く保つ美しさが立つ。

院長がこの考え方を直接教わったのは、建築設計事務所の日総建に勤めていた叔父、中村からでした。日総建は、電電公社の電話局を設計する事務所として始まり、無駄のない合理的な設計で知られる逓信建築の流れをくむ設計事務所です。電話局は、見た目より先に、通信を途切れさせない構造が求められる建物でした。

さらに、名古屋テレビ塔の建設に携わった山下和源氏、そして故・蜂須賀氏。当院の空間を設計したお二人からも、設計とは何かを学んでいます。日本初の集約電波塔として、七十年を超えて立ち続けるテレビ塔のように、時間に耐える形をつくること。それが、当院が手術で目指していることです。

二重の幅が整っていても、まぶたが開きにくくなれば、その形は長く保ちません。流行の形を当てはめるのではなく、その人の骨格、皮膚の厚み、筋肉の動きを読み、構造として無理のない形を図面を引くように決めていく。これが当院の手術の出発点です。

FOUNDATION

三代、顔の働きを診てきた医院です

1963年に開設した井上医院から、大江橋クリニックへ。脳外科、耳鼻咽喉科、形成外科、皮膚科と受け継がれてきたのは、美容も医学として向き合うという姿勢です。

院長は平成元年(1989年)から形成外科医として、主に瞼と耳の治療に携わってきました。三十年以上にわたって瞼と耳の手術を重ね、その後の経過を見てきた経験が、数年後、十数年後の崩れまで見越す当院の手術の土台になっています。

旧井上医院 昭和51年度 第8回中部建築賞 入選作品
竹中工務店が手がけた旧井上医院の建物は、中部の優れた建築を選ぶ第8回中部建築賞に入選しました。この回に選ばれた個人の建物は、旧井上医院を含めて2件だけで、同じ回には愛知医科大学の建物も選ばれています。医院の建物そのものが、機能と形の両立を認められた建築でした。

脳外科医・耳鼻咽喉科医・形成外科医・皮膚科医に必要なのは、手先の器用さだけではない。想像力であり、創造力である。

旧井上医院 院長 井上武雄 副院長 井上孝雄

先代から受け継いできたこの言葉のとおり、当院では手術の前に、数年後の形と動きまでを思い描いて方針を立てます。

開業日 2006年12月1日
写真:旧井上医院の写真(昭和51年度 第8回中部建築賞 入選)