沿革 井上医院から大江橋へ

大昔の医学界には、教授職の次は市民病院病院長職という格付けがありました。

「俺たちのやりたい医療はこんなんじゃない!」
大学病院と市民病院を飛び出し、開業医になるという当時では破天荒な考えから始まった二人の医師が始めた
井上医院から現在の大江橋クリニックまで

大江橋クリニックの前身は井上医院です。昭和38年に創立した脳外科と耳鼻科のクリニックでした

前院長である脳外科医・井上武雄と副院長の耳鼻科医・井上孝雄は、それぞれの分野で診療に力を注ぐとともに、手術に際しては医師二人が協力し、一方が麻酔と全身管理を受け持ちながら手術スタッフ全員を監督し、もう一人の医師が患部の手術治療に全力を注ぐという、当時では珍しかった医師二人による手術体制を導入し、頭頸部のご相談を主に受ける病院でした。
大学病院でも市民病院でもまだ完備できなかった頭頸部専門の病院でした。脳外科医と耳鼻科医が二つの観点から頭頸部を見るという考えは斬新だったようです。
当時は大学病院でも難易とされた頭頸部手術の全身麻酔手術を二人が担当し、かなりの症例数と難しい症例をこなしていました。頭頸部の手術のみならず、痛くない麻酔、腫れにくい術後、きれいな傷跡を、など当時はあまり重要視されていなかった患者様のニーズにもお答えできる手術をも標榜していました。

”傷跡なおし”当時としては画期的なことでした

大江橋クリニックの得意とする分野の一つ「傷跡をキレイに」という治療方法の礎はここから出発します。二人は、現在では当たり前になった頭頸部の手術に必要な手技の一つ、「傷跡をキレイに手術する。」をその当時から実践していました。そもそも傷跡という概念すらなく、形成外科という診療科の存在すらなかった当時から、現在の形成外科治療には欠かせない皮膚腫瘍摘出に際し皮膚に縫合跡を残さない皮下埋没縫合を工夫したり、臍ヘルニア(出べその修正手術)を行ったりと、当時の日本の教科書や日本の医局では習得できなかった形成外科的な診療、美容外科的な診療を行っていました。現在の巻き爪治療では標準となった、入院の必要ない巻き爪治療「フェノール法」を当時から導入していました。この頃より、頭頸部が専門ではありましたが、人生相談から専門外の相談まで様々なご相談を受けていたようです。まさに”町医者”だったのでしょう。

医療を身近に!専門性のある”町医者”になろう!

「頭頸部は井上医院へ。」
こういった概念も当時では海外を含めても珍しいことでした。頭頸部のご相談を網羅する病院は、現在では珍しくありませんが、日本ではまだまだ浸透していません。(例えば海外では足専門の病院とは足の外反母趾から巻き爪、水虫、骨折、靭帯損傷など足に関係することは全て診る病院のことです。)頭頸部の手術は当時は外傷も多く、顔や耳の手術も自然と受けていました。そこから、「外傷は井上医院」「井上医院の手術跡はキレイだ」から「頭頸部の井上医院」と呼ばれるようになり、病院からもご紹介をいただくようになりました。

患者様へのご配慮も忘れていませんでした

二人は医療に全力を注ぐだけでなく、「なるべく患者様のご負担を少なくすること。」も忘れてはいませんでした。ですから医師会の売り上げランキングは毎年、井上医院は、いつもビリかビリから二番目。当時は入院患者様を多く受け入れ救急外傷にも携わり、二人が朝から晩まで外来に全身麻酔手術にと休みなくフル稼働する井上医院であったにもかかわらず。
プライベートなど全くなかった二人ですが、二人は生き生きと働いていました。
当時の二人の写真は笑顔ばかりです。スタッフもしかり。
先代は今でも当時のことをよく私たちに語り、私たちはそんな先代達を誇りに思っています。

皮膚を形成外科医と皮膚科医の観点から診るクリニック

近年の医療改革は目覚ましいものがあります。そして日本の形成外科と皮膚科領域は基礎研究部分も含めて大きな発展を遂げ続けています。
私たちはまさにその頃に、井上医院から”皮膚を専門とする”大江橋クリニックへと舵を切りました。
井上医院を井上医院のままに継続させる方向もありました。ですがそのままでは現状維持なだけです。
長年医療に携わった経験をもとに。
独自のスタンスを保ちながら形成外科・皮膚科領域の二つの観点から皮膚を見つめています。
医学的根拠のある治療をご提供できるよう新たなチャレンジを私たちは日々続けています。